「若くして命を落とすより、できるだけ年齢を重ねてあの世へ旅立つほうが幸せだと信じている」
人生にとって“老い”は自然な成りゆきです。私は祖父母やアルツハイマー病を患った母との関係から、老後というのは、生きていくうえで非常に複雑で困難な問題が伴うと気づかされました。彼らは、最も守られていたであろう幼少期へと回帰していき、抗えない状況が巻き起こるのです。一方で私の父は、90歳で亡くなるまで執筆活動を続け、画家としても大きな絵を描いたりしていました。ですから、どんな状況であろうと、若くして命を落とすより、できるだけ年齢を重ねてあの世へ旅立つほうが幸せだと信じています。老いも人生の一部という気持ちから、映画『VORTEX ヴォルテックス』を作り上げました。 本作の主人公は映画評論家の夫と元精神科医の妻で、妻がアルツハイマー病を患っています。現在、世界的に長寿の時代に入り、3~4人に1人はアルツハイマー病にかかると言われています。男性は今も心臓発作などで亡くなるケースが目立つ傾向にありますが、平均寿命が長い女性はアルツハイマー病のリスクが高くなる。未来を悲観すると自殺したくなる人も多いはずです。しかしアルツハイマー病で認知機能が衰えると、そんな考えも浮かばなくなるのでしょう。そうなると、もちろん本人も大変ですが、面倒をみる家族や周囲の人々への負担が増大するわけです。
「母に施設に入所してもらう際は罪悪感にさいなまれました」
アルツハイマー病は発症後ゆっくりと症状が悪化するので、最初の半年から1年は家族だけで問題を解決しようとします。それが限界に達すると、外部の助けを求めるようになる。私の国、フランスでもそのための援助システムは整備されています。たとえば認知症となった高齢者の場合、1カ月で3000ユーロ(約47万円)程度の料金でケアしてもらえます。ただし高額なため、負担できない人も大勢いる。現実的に施設に入ることのできる人は限られているのです。また、負担できたとしても、自分の家族を施設に入れることに罪の意識をもつケースが多いと感じます。そうした家族には心理カウンセラーも必要になってくる。私の母はアルツハイマー病を発症して3年後に亡くなりましたが、家族でサポートし合いながら世話をし、施設に入所してもらう際は罪悪感にさいなまれました。アルツハイマー病は発症者だけでなく、家族への心理的負担がとてつもなく大きいのです。
そのような考えから新作のアイデアを練っていたとき、世界がパンデミックに突入しました。製作にも制限がかかることを認識したので、メインキャストを2~3名に絞り、撮影のための空間も限定的という条件を考慮したうえで、認知症をテーマに構想を練ったわけです。テーマと言っても、老いや認知症について、社会に何かを訴えようとは思いませんでした。私は神父ではないので、映画で何かを強く伝えようとは考えない。ただ題材が題材なだけに私のキャリアの中では、最もシリアスで“泣ける”作品になった気がします。
俳優のリアルな演技が、まるでドキュメンタリーを観ているような錯覚に陥らせる
主人公夫婦を演じるキャストに尊敬する二人を迎えたことで、私は自分自身に強いプレッシャーを与えつつ、楽しく、建設的な体験になると感じました。夫役のダリオ・アルジェント(『サスペリア』などで知られるイタリア人監督)は、評論家としても精力的に活躍しており、彼の提案で役の職業を映画評論家にしました。本人の姿も重なり、エネルギッシュな演技を披露してくれたと思います。妻役のフランソワーズ・ルブランは非常に知的な人。今作のために認知症を扱ったドキュメンタリーを観てもらい、アルツハイマー病になった私の母の話から、視線の方向や、ぼんやりと空を見つめる仕草などを学んでもらいました。普通に会話をしながらも、認知症なのでその内容を理解できていないという状況は、演じるうえで難しいはずですが、彼女が完璧にこなしてくれたおかげで、観客はドキュメンタリーを観ているような錯覚に陥るはずです。
このように現実的なストーリーを伝えるうえで、映画の形式としてはシンプルなセットで、セリフも限定的な作品をイメージしましたが、唯一ともいえる美的なこだわりは、スプリットスクリーン(画面を真ん中で分け、別の場所で同時に起こっていることを映す手法)による撮影です。老夫婦を両サイドに分けて撮ることで孤独感が強調されますし、真ん中のラインで、アルツハイマー病によって二人を引き離す“境界線”を示したかったのです。当初のシナリオでは、主人公二人がベッドで起き上がる冒頭から画面を分割するつもりでしたが、撮影を始めてから、彼らを一つの画面に収めたシーンもあったほうがいいと考え、プロローグに使いました。
「死に方を自分で選べたらいいと感じたのも事実です」
本作はフランスの老夫婦の日常を描いていますが、日本映画からも大きな影響を受けています。木下惠介監督の『楢山節考』(1958)や小津安二郎監督の『東京物語』(53)と、本作の繋がりに気づいてくださる人もいるのではないでしょうか。私は日本の伝統的なメロドラマの大ファンであり、篠田正浩監督の『心中天網島』(69)のような作品にも触発されました。コロナ禍の長いロックダウン期間、私はこうした日本の偉大な監督のメロドラマを再発見し、その哀しさ、残酷さ、美的独創性から映画の真の素晴らしさを改めて思い出すことができたのです。
人生が続く限り、そして高齢化社会が進む限り、避けられない現実からこの映画は生まれました。そうは言いながら、私自身、老いること自体に恐怖は感じていません。本作を撮る前に、脳出血で3週間のモルヒネ服用を経験し、生と死と呼ばれる二つの概念に対し、より穏やかに向き合えるようになったからです。ただ改めて、死に方を自分で選べたらいいと感じたのも事実です。ある日突然、心臓麻痺で亡くなることを選択したい人も多いのではないでしょうか。そんな複雑な思いも心に秘めながら、これからも映画を製作しながら年齢を重ねていきたいと思っています。
Profile
ギャスパー・ノエ
1963年、アルゼンチン生まれ。76年フランスに移住。91年に中編映画『カルネ』、98年に続編となる長編『カノン』を製作。『アレックス』(2002)を筆頭に、『エンター・ザ・ボイド』(09)、『LOVE 3D』(15)など、コントラバーシャルな作品を作り続けている。
Text: Gasper Noé as told to Hiroaki Saito Editor: Rieko Shibazaki